32インチのお気持ち表明!!!!!

言いたいことを言いたいだけ叫びまくる。

ありがとうやべっちFC。

終わってしまった。日本サッカー界に燦然と輝く姿を残した偉大な番組だった。

 

感謝は以前記事で書いたのでここでは省くこととする。以前の記事はこちら。

timp-domyo.hatenablog.com

 

ここでは思い出を書いていくことにする。

 

やべっちFCを初めて観たのは2012年。小学6年生だった。

 

2点差3点差がついた勝ち確試合で後半残り5分からFWで出場する、そんなへたっぴなサッカー少年だった。

 

戦術なんて少しも分からん。オフサイドすらちゃんと理解してなかった。試合に出ればトラップミスして、パスミスして、ボールロストして、ファールスローして。決定機でもシュート外しただろう。「だろう」と言うのは、チームメイトにはゴール前で俺にボールを回すという選択肢がハナから無くて、そもそも決定機など俺の元に転がって来なかったからである。

 

ミスする度に上手い子にふざけんなと怒鳴られ、泣き腫らし、コーチに慰められる。ここまでテンプレ。

 

練習でも辛い日ばかりだった。鳥籠では一切ボールが取れずにずっと鳥役をやり続け、リフティング100回やったら休憩と言われても、俺の休憩時間はみんなの半分だった。1つ学年が下の選手にスタメンを奪われ、1つ学年が下の俺と同じような選手とお互いに慰めあった。2人1組でやる練習は時間がかかるからと誰も俺とやりたがらなかった。結局コーチに付き合ってもらった。やるのは俺だけなのに、みんなと終わる時間は同じだった。

 

漫画だったらここから才能が開花したりするんだろうけど、現実はそんな甘くなくて、本格的にサッカーを始めた3年生から少年団を卒団する6年生まで、一度も活躍なんてしたことなかった。

 

毎週土日の練習が本当に本当に嫌で、軽く雨が降った日は親に練習は休みだと言ってサボったこともあった。

 

 

 

少年団の卒団と同時にプレーに嫌気がさして中学校では吹奏楽部に入ってサッカーからはキッパリスッキリ足を洗った。体育でサッカーをする時も、小学校が同じ人には箝口令を敷いて、周りには未経験者だと言い張った。それでもサッカー自体が嫌いにならなかったのはやべっちFCのおかげだ。

 

番組の存在自体は4年生の時から知っていた。ただ、チームメイトが難しい宿題に挑戦しているのを見て、自分が観たところでどうしようもない番組だと思っていた。真似出来なくて当たり前のイナズマイレブンにしか興味がなかった。チームメイトでやべっちFCを観ていない人はいなかったから、俺も観ているフリをして、適当に話を合わせていた。

 

しかし2012年2月。小学校もあと1ヶ月で卒業という時期に転機が訪れた。

 

チームメイト2人が練習前に剣の舞のメロディで股間を押さえながらアイタタタタタと叫び、フォーン!と言って乳首を触る。気が触れたのかと思った。ただ、他のチームメイトはみんな笑っている。どうやら気が触れたのは俺だったらしい。

 

訳の分からない俺は、一番仲の良かったマエダ君に一体これは何なんだと聞いた。やべっちFCだ、と言われた。観てないのがバレた。

 

それから「32インチはやべっちFCを観てない奴」というレッテルを貼られたくないが為に見始めた。これがやべっちFCとの出会いだった。

 

 

 

中学高校時代、吹奏楽部に入って没頭した。サッカー観戦は代表戦しか観ないニワカの極みだった。でも、やべっちFCJリーグを伝えてくれるから、代表には縁が無いけど素晴らしい選手をたくさん知った。外国籍選手もたくさん知った。

 

佐藤寿人豊田陽平家長昭博。柏時代の酒井宏樹。浦和時代の原口元気。南アWC以降の大久保嘉人。それから同時期に覚醒して毎週のように名前を見たセレッソ柿谷曜一朗、鹿島の大迫勇也柴崎岳、柏の工藤壮人。外国籍選手ではパトリック、鄭大世ミキッチレアンドロドミンゲスなどなど。

 

プレーもせず、スタジアム観戦もしない俺とサッカーを繋いでくれたのはいつだってやべっちFCだった。

 

大学生になった。吹奏楽も辞めてスキーを始めた俺は、それでもやっぱりまだやべっちFCを観ていた。

 

ロシアW杯はバイト帰りの電車で、通信量を度外視して公式アプリからリアルタイムで観戦したりした。日本代表の試合でもないのに、である。

 

サッカーを辞め、6年経った男が、6年経った時に深みにハマったのである。やべっちFCでワールドカップ特集があったからだ。世界のスター選手を観たいと思って血眼になって観た。

 

激渋開幕戦と言われたロシア対サウジでチェリシェフのドチャクソエロトラップからのシュートに惚れた。スペイン対ポルトガルロナウドに驚愕した。ドイツ対韓国に衝撃を受けた。毎戦ギリギリの試合で勝ち進むクロアチアを心の底から応援した。

 

数々の毎試合が生まれた大会を、ただただ日本が出たから観る、ではなく、1サッカーファンとして楽しめたのは素晴らしい体験だった、そしてその体験をくれたのはやべっちFCだ。

 

 

 

そして去年、DAZNに加入した。今では毎節観戦する推しチームが国内外合わせて3つできるくらいにはサッカー三昧な日々を送っている。試合に出るのが嫌で嫌で、ベンチに座りながらコーチに呼ばれないことを願っていた小学時代からは想像もつかないことである。

 

やべっちFCに出会う前までは、「中学生になったらサッカーなんて辞めてやる!」と思っていたから、今があるのはやべっちFCのおかげ、と言っても全然過言ではないのである。ありがとうやべっち。ありがとうやべっちFC

 

 

 

かれこれ8年間。毎週欠かさずに観ていた。ウキウキしながら録画予約したやべっちFCを再生したらゴルフ番組だった時はブチギレたもんであった。

 

同じテレ朝でも、ドラえもんだってそんな長い期間は観てなかったと思う。そんな、俺の少年時代から青年時代を鮮やかに彩った素晴らしい番組がついに試合終了となってしまった。

 

でも、バスケの漫画で「諦めたらそこで試合終了」なんて有名なセリフがある。だったら、諦めなければ試合は終わらないのではないか。そうだ。やべっちFCは終わらない。諦めなければいつかまた試合は始まるんだ。今はちょっと中断してるだけなんだ。

 

再開するその時まで、絶対に忘れない。やべっちFCが俺にくれた楽しさを。感動を。笑いを。全部全部大切に保管して、そんで試合再開のホイッスルが鳴った時、引き出しひっくり返して、日本中のサッカーオタクたちが、テレビ局のオトナ達に対して反撃を始めるんだ。

 

反撃を伝える合図はもちろんあの言葉。

 

 

 

日本中のサッカーオタクを勝手に代表して、大好きな大好きなやべっちFCへ。

 

「「「ハーイ!やべっち!」」」