そろそろなんか書かんとなって思ったけど話題がねえ。
話題がないので作ってしまおう。俺がツイッターでよく話題に出す単語で、一般的なものじゃないワードの説明をしようじゃないか。
そう、瀬田歩である。俺は瀬田歩が大好きだ。何かにつけて瀬田歩にこじつけ、感情移入してしまうのである。
あさのあつこという人をご存知だろうか。女優ではない。『バッテリー』とかで有名な作家である。
バッテリーに関しては「野球なんでしょ?」くらいしか知らんので省くとしよう。
瀬田歩は、あさのあつこ作『The MANZAI』という作品の主人公兼語り手である。
この作品のあらすじをざっと紹介しておこう。
主人公の瀬田歩(クソ隠キャ)が大阪の中学校に転入すると、めちゃくちゃ背が高くてスポーツ万能な所謂陽キャな秋本貴史に「おつきあい」を申し込まれる。
ノーマルな性癖を自負する歩はもちろん本気で断るんだけど、力比べをしたら秋本の圧勝になるのは明白で、無理やりあんなことやこんなことをうふふふふふふ。
とはならんのです。そもそも俺は百合が苦手だ(男同士も百合って言うのか?)。
秋本の言う「おつきあい」とは、漫才コンビを組んでくれという提案だったのである。
ただ、これも歩は拒否する。歩は極度のあがり症で、そもそもガチ隠キャである。当然の如く拒否する。
ただ秋本も諦めが悪く、何度も何度も漫才漫才と言い続けて、なんだかいつの間にかなし崩し的に漫才コンビを結成してしまうのである。
と、こんな感じでストーリーが続く。
では、ここから瀬田歩という情けねえ男の魅力について迫って行こう。
瀬田歩のバックグラウンドにはとてつもなく大きい影が存在している。
中学1年の歩は不登校だった。別に虐められていた訳ではなく、仲のいい友達もいるにはいて、ただ、中学での諸々に疲れていた。
そんな疲弊した生活を送っていく中、担任の教師に「ふつうじゃない」と言われたことがきっかけで崩壊してしまった。1学期を休むことにした。そのことに関しては、両親も歩を応援してくれていた。「いた」。
夏休みが終わり、さあ2学期が始まるという時になっても、歩の心に変化は生まれなかった。もう少し休みたいと両親に話した。怒られた。
「みんながふつうにやっていることが、どうしてできないんだ、歩」
この言葉は呪いとなって歩に襲いかかる。
「ミンナガフツウニヤッテイルコトガドウシテデキナインダアユム」
「ミンナガフツウニヤッテイルコトガドウシテ.......」
「ミンナガフツウニヤッテイル......」
「ミンナガフツウニ......」
「ミンナガフツウニ......」
「ミンナガフツウニ......」
そうして家族内で大惨事になった中、姉が気を利かせて頭を冷やすために父とドライブに出かけた。
電話が鳴る。病院から。事故だった。2人は亡くなった。
2人の死因について、直接の原因は父の運転ミスだが、間接的な原因は自分であると歩は述べている。
「ミンナガフツウニヤッテイルコト」ができないからこうなってしまった、と考えている。
事故の後、歩は普通に学校に行き始めた。そう、普通に。
その後、母の生まれ故郷である地に引っ越して、転入した先で秋本と出会うのである。
秋本貴史という男は、何も考えてないように見えて本当に何も考えてないんだけど、考えてないなりに的を射た矢を射る人間で、歩のこの深い深い傷をグリグリと抉る。
異常なまでに「普通」にこだわる歩を、秋本は笑い飛ばして、「おまえフツーじゃないで」と言ってしまう。「なんで、ふつうじゃないとあかんのや」と言ってしまう。
秋本の言う「普通じゃない」っていうのは要するに特別って意味だが、そんなことは関係ない。
歩にとっては、「普通」なんて気にしなくても生きていける秋本は自分とは違って強い人間なのだ、ということをまざまざと見せつけられているのと同じなのである。歩は秋本に対してブチ切れた。
ここから分かることは、瀬田歩は「普通」であることを望んでいながら、「普通」であることをコンプレックスに感じているのである、ということである。
そんな中学生瀬田歩は、秋本を始め愉快な仲間たちと交流することによって、徐々に「ミンナガフツウニ」の呪いを解いていくのである。
『The MANZAI』は、一見コメディ要素の強い作品に思えるかもしれないが(実際ほぼ全編オールコメディと言ってもいい)、その実、アイデンティティ形成に悩む1人の少年の精神的成長を記した物語なのである。
瀬田歩をいつかの自分に重ねてみてほしい。もしくは、今でも自分の中に微かに残る瀬田歩に語りかけてほしい。
それが、あなたの「The MANZAI」観になるに違いないだろう。瀬田歩は、全ての弱虫の味方だ。きっと寄り添ってくれる。
普通であることも、普通でないことも、まあいっかと全て笑い飛ばして胸張って生きていけるようになるはずだ。