32インチのお気持ち表明!!!!!

言いたいことを言いたいだけ叫びまくる。

負け犬のお話。

 ちょうど今エントリーシートの提出が一段落して、合否を待ってるところでして、本来であれば自己分析だの企業分析だのをするべきなんだろうけど、俺がそんな真面目な人間ではないのはご存知の通り。

 

 加えて大学の授業の本格開始も来週からとなり、唐突な本選考に対応するために土日以外にバイトを入れてないので、究極的に暇な日を過ごしています。

 

 暇な時あるある、はてなブログで突発ネタ書きがち。

 

 ということで今日の突発ネタは最近てぃむ内で話題沸騰中の「負け犬」の概念について。

 

 

 

 つい先日、ウマ娘を始めた。すると、とんでもねえ負け犬がいた(ウマなのに犬とはこれいかに)。名前をハルウララと言うらしい。

 

 前情報として、モデルになった競走馬が113戦全敗ということは知っていたので、「負け犬」オタクとしては元々気になってるキャラクターではあった。

 

 そう、俺は「負け犬」オタクだ。

 

 

 

 まずは「負け犬」とは何かを説明すべきであろう。「負け犬」とは、その名の通り、「負け」が物語に含まれているキャラクターである。

 

 俺の好きな「負け犬」の具体例を挙げると、水木聖來が筆頭になる。詳しくはデレステコミュ1を見てくれ。バカなくせに社会に負けて変に賢くなろうとしてしまう女がそこにはいる。

 

 それから、瀬田歩。こいつに関しては過去記事を参照してほしい。こいつも自分の心に負け、罪悪感に負け、劣等感に負けた情けねえ弱虫だ。

 

 最近では、樋口円香なんてのもいる。シャニマスのゲームシステム的に一度も負けずにシナリオクリアすることも可能だが、この女は負けてこその物語があるし、そうでなくても負け犬の魂を宿している。

 

 樋口円香に関しては、かなり大きな衝撃があった。というのも、俺も負け犬だからである。俺自身の性格の中で一番嫌いな負け犬の部分が激烈に樋口円香に結びついてしまって、この女が大っ嫌いになった。

 

 そして、樋口円香のクソな部分(=俺のクソな性格)を肯定するシャニPには悪意すら感じた。高山を恨んだ。そして心の中で紆余曲折ありつつ最終的には、樋口円香(=俺)を愛せる人間になろうと決意した。

 

 

 

 愛すべき「負け犬」たちの基本スタンスは、「負けない」である。

 

 それは、過去に負けた経験があるからこそ、「勝つ」ことの難しさを知っているからである。

 

 具体例はこれまた樋口円香だ。この女はW.I.N.G編のコミュ中に「泣かない」という言葉を頻発させる。

 

 不自然だ。「負けても泣かない」というのは、分かる。ただ、「勝っても泣かない」という言い方はあまりに穿っている。「勝ったら笑う」というのが普通の表現ではなかろうか。

 

 それはつまり、負け犬である自分が勝って笑っているビジョンが浮かばないからなのである。

 

 「泣かない」「負けない」はまじないだ。泣いた、負けた経験があるからこそ、もう二度とあんな思いはしたくないともがき、苦しみ、それがドラマとなって俺たちオタクを殺しにかかってくるのである。

 

 

 

 そんな樋口円香ショックが一段落してきた頃、襲ってきたのが話戻ってハルウララショックである。

 

 ハルウララはいつまで経っても「勝ちたい」を言い続ける。

 

 113回負けても、強烈なポジティブシンキングで114回目には勝てるかもしれないなんてドリカムの何度でも何度でも何度でも立ち上がり呼ぶ曲みたいなことを主張するのである。

 

 言うまでもなく、ハルウララの経歴は負け犬に相応しいものだ。というより、ハルウララほど負けた存在も中々いない。

 

 競走馬の世界は勝った負けたが日常茶飯事で、そんなにウマ娘アクティブじゃない俺が認識してるだけでも、ナイスネイチャメジロライアンマチカネタンホイザなど、様々な負け犬どもが首を連ねている。

 

 そんな負け犬量産界隈の中で、「勝ちたい」を守り続けていられるのはもはや才能と言ってもいい。

 

 

 

 「負けない」というまじないを使っている時点で、過去の一時点における負けを認めている。つまり、当たり前だが負け犬に無敗優勝はない。

 

 そして、いつか優勝できた時に、「あの負けがあったから今があるよね」なんてクッサい台詞を吐いて感動の最終回を迎えるのである。

 

 しかしハルウララは違う。1回負けるごとにその負けが次に向けたステップへと自動的に昇華する。113+α敗したところで、ハルウララの場合は1回でも勝てればそれは1戦1勝の無敗優勝だ。


 だからハルウララの最終回では、過去の数多の負けは一切言及されず、「勝てたよー!」と喜ぶ可愛らしいウマ娘がよしよしされるだけのはずだ。

 

 「挫折は成功への通過点」みたいなのがロックバンドの歌詞なんかによくある。しかしそんなのは負け犬からしたら、負け犬から勝ち組に這い上がった天才が語る理想論にすぎない。負け犬は、ほとんどの挫折は成功に繋がらないことを知っている。


 一方のハルウララは単純に心のままに行動した結果、敗北者のままで負けを通過点にしてしまっているのだ。

 

 

 

 これが俺がハルウララに惹かれた理由だ。

 

 さっきも言った通り、俺も負け犬だ。俺は大学でスキーサークルに入っているが、スキーの大会に出た時の個人目標は、親の金で無限にスキーできるボンボンには「負けない」である。

 

 そんな惨めで何の取り柄もない負け犬てぃむは、理想論を実現しようとするハルウララを尊敬している。

 

 


 以上に書いたことから、ハルウララは全ての負け犬の憧れとなりうる存在だと思う。

 

 体感だが、オタクには自己肯定感が低い負け犬が多いそんな人は、ハルウララを育成してみてほしい。きっと救われる心があるはずだ。